頬を刺す、冷たい冬の風。今年は雪のにおいさえもしない。









午後12時16分。お昼ごはんの時間。好物の玉子焼きを口に運んだ時、賑わう教室のちょうど真ん中で、ぽつりと一人だけうつ伏せになっている人を見つける。その張本人、同じクラスの横山平馬は”無表情””クール”なひとで有名だ。正確には”すごくマイペースなひと”、と言った方が正しいかもしれない。だけどそのくせ顔は良いし(私の好みじゃないけど!)、サッカーも上手いらしいし(右から左に聞いた話だから私はよく知らないけど)、ってことで全校生徒から人気がある。


 「おい、よーこやまー。いい加減起きろって。もう昼だぜ」
 「…えー…もうそんな時間?」
 「そんな時間」
 「……腹減った」
 「横山くんってば相変わらずマイペースだなあ、もう。ねえ私たちも一緒に食べてもいい?」
 「あー…いーんじゃない?鈴木は?」
 「俺も別にいーぜ」


俺も、私も、という声が上がってあっという間に人だかりが出来た。…私なら絶対無理だ。お昼はひっそりと食べたい。なのに、横山は我関せずみたいな余裕っぷりで相変わらずのマイペースでお弁当を広げ始めた。彼は余程懐が広いのか、それともただ単にどうでもいいのか、……多分後者だろうけど。だってあのひとは、


 「…ちょっとー?人の話聞いてる?」
 「んー、あんま聞いてない」
 「この正直者。…で、そんなぼんやりして何見てたの?」
 「あのへん」
 「…あー、あの辺ね。相変わらず人気だこと」
 「ふーん…やっぱ人気なんだ」
 「そりゃね。見ての通りでしょ」
 「まあ関係ないからいいけど…あ、飴食べる?」
 「いらない。あんたも横山に負けず劣らずマイペースよね」


そんなことないし。横山平馬よりはマイペースじゃないし。習慣とは恐ろしいもので、ぼんやりと人だかりを眺めながらも私の右手は着実にお弁当を口に運んでいて、いつの間にか中身はからっぽだった。お弁当をたたみながら一緒に包みにいれておいた飴を机の上に転がす。せっかく奈津美ちゃんの分も、って多めに持ってきたのにな。


 「…じゃあ、もしかしてあんた横山と話したことない?」
 「あるよ」


最初に断っておくが、奈津美ちゃんの質問に間髪入れずに答えたのは私じゃない。私はおもむろに質問した奈津美ちゃんの背後に迫る影にまぬけ顔で口を開けたままだった。


 「あ、横山平馬」
 「…いつも思うんだけど何でフルネームで呼ぶの?」
 「んー…何となく?」


挨拶がわりに片手を挙げて、その反対側でキャラメルミルク味の飴を放り込む。横山は片手に青と白の缶を持ってるから、ジュースを買ってきてその通りがかりに近づいた、ってとこだろう。疑問系を疑問系で返した私に横山はちょっとだけ不思議そうにこっちを見た(といっても、そんなあからさまな変化は見られないんだけど)。どっちかっていうと奈津美ちゃんの方が不思議そうな顔してる。


 「…ねえ、もう1回聞くけどあんたたちって話したことあるの?」
 「今話してるけど?」
 「そうだよ、奈津美ちゃん」
 「そうじゃなくて…。じゃあ、質問変えて、2人は仲良かったっけ?」
 「おれたちほぼ毎日一緒に帰ってるけど」


答えになってるようななっていないような、その言葉が出た瞬間、まだ口の中でおおきな飴をがりりと思い切り噛み砕いてしまった。それと同時に奈津美ちゃんは、はあ、と疑問符が3つ4つ連続で付きそうな顔。…うーん、いや間違ってないんだけどね。間違ってはいないよ。まるでタイミングを見計らったかのように、「横山!」と呼ぶこえがして(あれは多分斜め前の席の後藤くんだ)、じゃあまた、なんて軽い言葉を残して横山は人ごみの中へと帰っていってしまった。


 「ちょ、…横山!ちょっと、本当なの?」
 「うーん…まあ、一応?」
 「一応って何よ。てゆか、付き合ってるの?」
 「いやべつに」
 「じゃあ何で一緒に帰ってるのよ、ああもう全然分かんない」


がりり、がりり、と奥歯で飴玉を噛み砕く。べつに隠してるとかそんなんじゃないんだけど、はっきりしないまま私に奈津美ちゃんはちょっとだけ間をおいた後聞くのをやめてしまった。べつに隠してるとかじゃないんだけどね。実際に一緒に帰ってるから否定できないし、それに「何で?」って聞かれたときにどう答えていいか分かんないんだよ。がりり、と粉々に砕けた飴が喉を突き刺す。ちいさな欠片が溶けきったら、もういっこ、今度はイチゴ味。「よく食後にすぐ食べれるわね」って奈津美ちゃんはいうけど全然へっちゃら。むしろ甘いものがないと駄目。口の中に広がる、張り付くようにあまいイチゴ味。あまい。本当にあまい。そんなことを言いながらも、朝から数えてもうすでに6個目だったりする。甘い物がないと眩暈がする。甘くなきゃだめ。口の中がすーすーするミントとか、目が覚めるような飴じゃだめなの。あまくなかったらだめ。頬杖をついた手のひらの中でごろごろとした歪な飴の感触がした。


午後3時57分。学校側のバス停の前で遅れ気味のバスを待っている時、またまた横山平馬を見つける。ちょうど最近お気に入りのマンゴーベリー味の飴を齧り始めたころでした。彼と一緒のバスになることはあんまり珍しいことじゃない。(だって実際に三日連続で帰りのバスが一緒だし)(朝は横山平馬が寝坊気味だからあんまり会わないけど)だからって、お互いにそんなにたくさん話したこともないし、話しかけたりとかしない。ただ何となく距離を空けて、一番後ろの長椅子の端と端に、お互いの指定席に座っているだけだ。だけど、横山にしたらこれは「ほぼ毎日一緒に帰ってる」ってことになるらしい。


 「あ、」
 「横山平馬だ。どーも、昼休み振りです」
 「どーも、昼休み振りです」


バスに乗り込んだとき、彼の背後を付けるようにしていた(横山平馬の背中からはほんのりミントの香りがした)私にようやっと気づいたらしい。珍しくお客がいないからいいものの、長椅子の端と端で同じ挨拶をする私たちはちょっと変かもしれない。


 「なあ、俺のこと何話してた?」
 「何って?」
 「昼休み」
 「…ああ、」


横山平馬が話しかけてくるなんてめずらしい。だから今日はお客がいないのかな?それともお客がいないから話しかけてくるのかな?問いかけられた単語を脳内処理しつつ、口の中ではマンゴーとベリーの味がばらばらに舌を這っていた。


 「横山平馬って人気者だよなあ、って」
 「おれが?」
 「そう。君が」
 「…ああ、そうかも」


ちょっと顎に手をあてて考える仕草をしてから、あっさりと頷いた。奈津美ちゃんなら「ちょっとは否定しろよ!」とか言ってるだろうなあ。まあ、横山平馬が人気者なのなんて周知の事実だから別にいいんだけど。そしてまた思い出したように、なあ、と横山は口を開いた。(2度目の質問、…今日は本当にめずらしい日だ)


 「ってなんでいっつも飴食ってんの?」
 「んー…すきだから?飴がないとなんか口さみしいんだ」
 「ふーん」
 「横山平馬も飴食べてるよね。ミントのやつ」
 「うん。そういえば飴食べてるやつって欲求不満なんだって」


窓の縁に肘をかけてこっちを見る。よっきゅうふまん。欲求不満、かあ。問題のそれを右の頬から左の頬へ転がす。舌を這うような甘さと、鼻をくすぐるあまい香り。私の飴はあまくなきゃいけないんだって。甘い、甘い、目が眩むようなあまい飴玉、(もしかしたらそれで足りない"なにか"を埋めようとしているのかもしれない)。


 「…そっか、なんか分かるかも。じゃあ横山平馬も欲求不満?」
 「うん、俺も欲求不満。いまもちょっと我慢してる」


バスの動きが止まって、機械音を立てて扉が開く。一瞬だけ吹き抜ける、冷たい空気、ふわりと香るミントの匂い。(横山平馬のにおい、…私の飴は甘くなきゃだめなんだよ)南国のマンゴーベリーのにおいも掻き消されてしまいそうで、「ふーん」、と一言そっけない返事をするので精一杯だった。


 「ふーん、って…ってほんとマイペースだよな」
 「横山平馬に負けず劣らずらしいので」
 「おれ、ちょっとがんばってたのにな」


もう扉も閉じてバスが走り出したのに、いまだに香るミントのにおい。すーすーとかぜが通りぬけていく。横山平馬はいつもの淡々した口調でそう言って、ちょっと黙ってこっちをじっと見ていた。気づいたらいつのまにか8個目になるマンゴーベリーもどこかへ行ってしまっていた。くちが渇く。ひゅう、と口内を吹き抜ける空気がちょっぴり心地悪い。欲しい。欲しい。飴が欲しい。……、横山平馬がこっちをみている。長椅子の端と端、間には腕ふたつぶんくらいの距離はあるはずなのに、そんなもの微塵も感じない。せめぐミントのかおり。(彼をクールだと誰が言った、彼を無表情だと誰が言った、こっちを見る横山平馬は視線ですべてを語っているというのに、)


 "大橋通り前でお降りのお客さまは...."

 「わ、たし、降りるから…」
 「知ってる。じゃあまた明日な」
 「…うん、ばいばい」


逃げるように暖房のききすぎた箱のなかを飛び出た。横山がこっちを見ていたような気がしたけど、目にいたい色の広告看板が邪魔をして四角い窓に映ったちいさな影しかみえなかった。ごおーっと耳元で冬の風が吹き抜ける。冷たい空気が口のなかを通り抜けてすーすーする、決して甘くない薄荷飴の感覚。…ああ、ほんとうに欲求不満かもしれない。いないはずの横山平馬のにおいがする。



色ペパーミント

( めがくらむほどのあまい飴玉で、せまりくるあのひとの面影をけして )