むかしむかし ――いいえ、本当はちょっとだけ、むかしのおはなし。 飛葉中学校。二年。教室のまんなかよりも、はしっこがすきな、、というおんなのこがいました。わたしのなまえです。 「 、ねえ、……?聞いてる?」 「へ?え、…えーっと、なんだっけ?」 ――またやっちゃった。 いつもこうです。わたしは、おしゃべりをするよりも、ぼーっと頭をからっぽにするのがすきで。まわりのともだちや、誰かのもつ小物や、流れていくくものかたちとか、とにかくいろんなものを眺めるのがすきなのです。 でも、その分、だれかの言葉をうまく受け取ることができなくて、そのたびに、はあ、とおおきな溜息をつかせてしまいます。それを見ると、すこしむねがいたいです。 「お昼どこで食べる?って聞いたの」 「んー…今日は教室でいいや。次、移動教室だし」 「地学室遠いしねー。そうしよっか」 「うん」 むねがいたいのに、それでも、ぼんやりは無くなりません。見ることをやめられません。見ずにはいられませんでした。 「柾輝!行こうぜ」 「おー」 クラスにひとり、気になるおとこのこがいました。彼のなまえは、くろかわまさきくん。 名前のとおり、くろかわくんの肌は他のひとより小麦色に色づいています。 そのせいでしょうか。わたしの目は、くろかわくんを、他のひとよりもちょっとだけたくさん、見て、しまうのです。 「ごめん、ちょっと飲み物買ってくる」 「りょーかい」 「あ、なんか飲む?飲むなら買ってくるよ」 「じゃあなんか適当にお茶で」 「わかった。いってきます」 くろかわくんを見て分かったこと。 教室でいちばんなかよしなのは、はたくん。部活もはたくんといっしょ。サッカー部。でも、サッカーをしているのは体育でしか見たことがありません。すごく、残念です。 制服はちゃんと着ない。歩くときはポケットに手をいれてることがおおい。そのせいで、せんせいに、ちょっと尖った目でみられてる。みんなも、ちょっとだけ、距離をおいてる。みんな、くろかわくんは目元がきつくてこわい、っていう。 「…んだって!つーか、兄貴、普通にひどくね?」 「いや、それはオマエが100%悪ィ」 でもね、わらうと、くしゃって、やわらかくなるんです。はたくんの前だと、その顔がたくさん見られるから、ああやっぱりなかよしだなあ、っておもう。 それだけじゃなくて、悪戯っぽい目線とか、喉をならして笑みを堪える仕草とか、眠たそうにそらした横顔とか。すごく些細な、変化が、見たくて、見つけたくて。胸のおくが、ざわざわする、あの感覚をたしかめたくて。――ほんとうは、飲み物を買うなんて、うそなのです。飲み物なんてなくたって、ごはんは食べられます。でも、昼休みにはかならず飲み物を買ってから、屋上へ行く、くろかわくんを追いかけたくて。わたしの足は勝手に、あくせくと、でもこっそりと、彼との距離を変えないようにうごいてしまうのです。 「つーか、今日寒くね?」 「まーもう秋だし、こんなもんだろ」 「あー…今日飲み物ホットにするかなー」 「屋上、風強ェしな。その方がいいんじゃねーの?」 「……お、柾輝、これにしろよ。あったまるぜ?」 「遠慮しとく。……俺はいいから、直樹に買ってやれよ」 「あーそれナイス。ついでに兄貴の分も買ってくか」 「…しっかし、学校の自販になんでおしることか売ってんだろうな」 「はは、罰ゲーム用なんじゃねーの?今日みたく」 おしるこ、買うんだ。 おどろくよりも先に、わらってしまいました。――そしたら、ふと、畑くんが、こっちを見た気がして、あわてて柱のかげにかくれました。 何回か、ガコン、ガコン、と音がして。 そして、一日でただいちどだけ、くろかわくんと真正面から向き合う瞬間。なんど経験しても慣れません。でも、くろかわくんとの距離が手をのばせば届いてしまいそうなところまで詰まる、この瞬間は、もっと慣れません。一日でいちばんくるしくて、息がつまりそうで、心臓がばくばくといたくて、とても、どうしようもない瞬間です。 すれ違いざま、こっそりと見てみたら、彼の手のなかに、COFFEE BLACKと、さらにその下に、無糖、とちいさく書いてありました。お砂糖たっぷり、ミルクたっぷり、カップの中は黒よりも薄茶色にちかいわたしには、それはとても縁遠い言葉におもえます。おとなだなあ。やっぱり、くろかわくんは、ちがうなあ、と。気付いたら、うんうん、と頷いていたほどです。 けれど、わたしが”昼休みのくろかわくん”を知れるのは、ここまでです。 二人はいつも自販機で両手にあまる飲み物を買い、階段を上れるだけ上って、そしてその突き当たり、つまりは屋上へと続く重厚なドアを潜っていきます。そこまでしか、知りません。 屋上のいりぐちには、「立ち入り禁止」の看板と、細いロープが一本。まるで境界線のようです。わたしが、くろかわくんに近づける、ギリギリのライン。ロープなんて、ただの一歩で飛び越せそうなのに、とても高い壁のように感じます。 いつも、いつも、見ているだけです。境界線の、一歩うしろから、見ているだけなのです。 そう、ずっと見ているだけでした。ずっと。ずっと。ずーっと。 「今日は風強えなー」 「だな」 「今日の体育マラソンじゃなかったっけ?うわ、うぜえ」 「走ってっと桜の花が邪魔なんだよな」 勿体ねえ。そうちいさく呟いて、ひらり、舞う花弁を握りしめた、うららかな春の日も。 「…っ翼!」 「っし!マサキ、そっちは任せたよ」 汗と泥に塗れながら土煙の中を駆ける、夏の日の背中も。 「マサキ…お前、よくそんなの飲めるなー」 「は?なんで?」 「ブラックコーヒーとか苦いだけじゃん」 「そうか?別にそんなんでもねーよ」 「うっわ、無理無理。つーか、お前そんなんばっか飲んでっから色黒になんだよ」 「ンなわけねーだろ、馬鹿」 くつり、と喉を鳴らして、目元を揺らした、5分前に過ぎ去った秋色の笑顔も。 見ていました。見ているだけでした。 だから、彼が映る目の前の景色を、切り取って、貼り付けて、―― 想像、 していました。 彼の目から見る世界はどんなものだろうと。せいいっぱい、思考をとばして、とばして、とばして。現実世界は遠ざかっていくけれど、それでも、彼の世界と自分の世界を、頭のなかだけでいいから、結びつけてみようと。 「?」 ――― やっちゃった。 今度こそ、本当に。 いつも言われていたのに。それこそ、さっきもあの子に注意されたばかりなのに。ぼーっとして、くろかわくんが来たのに気づかないなんて。 「屋上に何か用でも…って、んなワケねーか」 「あ、いあ、…えーと、」 だめ。しゃべれない。口がうまくまわらない。どうしよう。どうしよう。 どうしたらいいですか。黒川くんのふしぎそうな視線が、ちくちく、ちくちく、いたいです。うれしいはずなのに。いたいです。今すぐにでも逃げだしたい気分です。 「お、屋上!行ったことないから、どんなところかなあ、って」 「…ああ。確かに基本的に俺らが占領してっからな」 「そう、だから、どんなのかなーって…ね」 「別に普通じゃねえの」 ふつう? ふつうってなんだろう。 … … ああ、だめだ。 もうだめ。むり。つづかない。むりだよ。むりむりむり。 ああ、もっと話したいことがあるはずなのに、だめです。つづきません。「ふつうかー」と呟くわたしは、逆にふつうでいられているでしょうか。わかりません。 「そんな気になるなら実際に見てりゃいーんじゃねえ?」 あたまがまっしろになるとは、たぶん、このことです。ただ、そのひとことで、すべてが飛びました。何もかんがえられなくなりました。でも次の瞬間。 放課後なら俺らいねーから。鍵壊れてるし、勝手に入れるぜ。 彼のことばで、こんどは身体の奥底から、かあっ、と熱くなりました。 はずかしいです。 ――― 期待、してしまいました。 見てみればいいと、そういわれて、くろかわくんと、ふたり並んで屋上に立つ、そんな光景を、思い描いてしまったのです。いつの間にこんなによくばりになってしまったのでしょう。はずかしいです。 そんな私を知らないで、くろかわくんは、数十分前の繰り返しのように、するり、と私の横をまた擦りぬけていきました。 間違うことなく、これが現実なのです。わかっていたつもりなのに。どうして。どうして。こんなにも。 「じゃ、ま、してごめんね…!っお邪魔しました!」 走って。走って。お邪魔しました、なんて挨拶はぜったい変だったとか、そんなの考える余裕なんて全然ないまま、とにかく走って。息切れしながら教室に戻ったら、案の定、ともだちに変な目で見られたけど、それにうまく答えられたかもわかりません。ああ、ただひとつ、覚えているのは、おそろいで買ったブラックコーヒーでさえ、彼を思い出して恥ずかしくて飲めなかったことくらいでしょうか。それほどに、くろかわくんの言葉は、わたしをおおきく揺さぶるのです。 ようやく頭が冷えたのは、とっぷりと日の暮れた時間帯でした。 そのころには、なんとか、未だ開けられないままの缶コーヒーを見ても、あまり動揺しなくなって。屋上の扉に手をかけても、ちょっとだけ頬は熱くなったけれど、ドアノブを捻る勇気は出すことができました。 ギィ、と音をたてた屋上の扉は、わたしが思っていたよりもずっと容易く開きました。吹く風はつめたくて、身体がふるりと震えます。 「はあ、さむいなあ…」 目の前に広がるのは、いつもとは少し角度をかえた街並み。色付き始めた空がゆっくりと影を落としていました。そのすぐ足元で、くろかわくんのいるサッカー部とか、いろんな運動部が忙しなく動いています。 ――ああ、これが、くろかわくんが見ていた景色なんだ。 きれいでした。胸が、きゅう、としめつけられるようでした。この感覚をわたしはとてもよく知っています。くろかわくんの変化を知るたびにおとずれる、彼をもっと知りたいと思う度におとずれる、あの痛みです。 ああ、でも。痛みが襲う度に嫌というほど痛感します。彼を知れたといううれしさと、まだまだ彼を知らないのだと思い知らされるくやしさとが入り混じります。自分でもよくわからないくらいに、なんだか、どうしようもなく、ぐちゃぐちゃになって。半分衝動的に、握りしめていた缶コーヒーのプルタブを思いっきりひっぱって、訳も分からず、ぐい、と口内へ流し込む。 「…っに、が…」 とても、とても、にがいです。大人の味です。わたしのしらない味です。 わたしが彼に抱く感情は、どこかで見たような空想話とは全くちがいました。お砂糖たっぷりミルクたっぷりでとっても甘い、なんて、そんな優しいものではなくて、もっと荒っぽくて、乱暴に、わたしの景色をびりびりに引き裂いてしまうのです。びりびりに破いて。いとも容易く捨てて。そうして何もなくなってしまう。くろかわくん以外、なにも、なくなってしまう。 いつからこうなったのでしょう。気付いたら、知りたくて、知りたくて、知りたくて。視線でおいかけて。いつしか身体ごと追いかけて。そうしてまた胸がいたくなる。いつか、ブラックコーヒーの大人の味にも慣れて、彼と同じ景色を見続けて、彼を知りつくしてしまったら、この胸も痛まなくなるのでしょうか。しめつけるような痛みにすら慣れてしまうのでしょうか。 「にがいなあ…ほんと、にがい…」 ああ、でも。なんだか―― ふしぎです。ほんのすこしだけ、いつもよりも景色があまく見えます。 ―――なんて、今思えば、本当に馬鹿みたいだ。 |
午後3時のメランコリー
そう心の中で吐き捨てたのは午後のコーヒータイム。目の前で喫茶店のコーヒーがゆらゆらと揺らめいている。 しかし、今になって、どうして中学生時代の恥ずかしい過去を思い出したりなんかしたんだろう。覚えていないものの、昨晩の夢にでも見たのだろうか。それにしても、昔の自分のなんと青いこと。ああ、いやだいやだ。 「?どうした?」 「え、ああ、…いや、なんでもないよ」 ああ、でもこういう、ちょっとぼーっとしてしまう癖が直っていないあたり、あまり成長していないのかもしれない。目の前に、仮にも恋人という肩書を持った異性がいるというのに、ぼんやりするなんて駄目だ。必死に取り繕おうと口角を持ち上げてみるが、こっちの魂胆はお見通しらしく、静かに「お前も相変わらずだな」と告げられてしまった。 「ねえ、何時に待ち合わせだっけ?」 「飲み会?あー…17時?」 「じゃあまだ時間あるね」 「だな」 「どうする?どっか行く?」 「いいんじゃねえの、別に。どっか行きたいトコでもあんのか?」 「んーん、特にない」 話し合いと呼ぶにはひどく短い話し合いを終えて、結局は何をするでもなく二人でだらだらと時間を過ごすことにした。これもいつものやり取りなので、最早大して気に留めず、自分の体温と等しくなったコーヒーをちいさく啜る。そこにとろけるような甘さはスプーン一杯も入っていない。代わりに、、と呼ぶ彼の声があまく響く。 「お前、もう一杯飲む?」 「んー、私、コーヒーよりケーキがいいなあ」 「…昨日電話でダイエットがどうこうとか言ってなかったか?」 「1個だけなら太らないよー……多分!」 「ま、好きにすりゃいーんじゃね?」 「てか、これ、奢りって解釈してもいいんだよね?ね?」 「へいへい」 「へへ、らっき」 コーヒーの湯気の向こうで、呆れたような、おかしそうな、どちらともつかない表情で彼はくつりと喉を鳴らす。 甘くないコーヒーの味に慣れる間に、いくつも年を重ね、出会いと別れを繰り返した。色々あった。ほんとうに色々なことが。昨日の夢のつづきは、声も出さずにぼろぼろと泣いた中学の卒業式は、高校の屋上にこっそり忍び込んで見た街の色は、成人式後の同窓会でのちょっとした事件は、初めてコーヒー色に染まる彼の手と重なりあった日は、――― それはまた、ちがうおはなし。 No.11 午後3時のメランコリー ( Chalk : 秋梨れもん) |