昇降口から空を見上げる。暗い空、灰色の雲、そこから止め処なく流れ落ちる雨。雨がすきだ。みんなは青空を恋しがって嫌な顔をするけれど、私は、雨を好きだと思う。毎日、雨が降ればいいと思う。それくらい、恋しくて、たまらない。もっと降れ。雨降れ、もっと、もっと。


 「…あれ、?」
 「ああ、黒川…今、帰り?珍しいね」
 「この天気で練習になるわけないだろ、馬鹿」
 「椎名先輩」


閑散としていた昇降口があっという間にいっぱいになった。黒川、畑、畑のお兄さん、椎名先輩、井上先輩、名前は分からないけど多分サッカー部の部員の人達。さっきまで雨の音しかしなかったのに、ばたん、と靴箱を閉める音とか、一気にこの場が騒がしくなる。


 「うげ…」
 「…どうしたナオキ?」
 「置き傘盗まれたんだってよ」
 「マーサーキ…お前なあ…!」


何でもない顔で自分の黒い傘をパンと開く黒川。それに井上先輩が何か言いながらじゃれ付く。サッカー部の、というか、彼ら5人組は本当に仲がいいと思う。不思議とバランスが取れた5角形。いつもなら、ここで椎名先輩の「うるさいよ」って一喝が飛ぶはずで。―そう、いつもなら、飛ぶはずだった。だけど、今日椎名先輩から井上先輩に飛んでいったのは、そんな言葉じゃなくて、シンプルな紺色の折りたたみ傘、だった。


 「それ使えば?」
 「は?…せやけど翼はどないすんねん」
 「…!お前ん家、駅の方だろ?」
 「そう、ですけど…」


くるり、と椎名先輩の顔だけがこっちを向く。どきり。…なんだか、すごく、嫌な予感が、する。


 「俺、こいつと帰るから」


有無を言わさずに持っていた傘を奪い取られる。えっ、と思わず飛び出た悲鳴も完全に無視されてしまった。昨日買ったばかりの雨傘。小刻みの良い音で水色と白の水玉模様が目の前にぱっと咲く。雨粒がぱちぱちと弾けて四方六方に飛び散る。「ほら行くよ」と傘の下では椎名先輩が、上では、とととと…と雨が、足踏みをしていた。私が椎名先輩の提案に呆けている間に、井上先輩や黒川くんたちはもう校門の近くまで歩いてしまっていた。(そういえばさっき「じゃあな」とか「がんばれよ」とか聞こえた、けど、……なんで、誰も、何も言ってくれ、ないの…!)


 「、何、ぼけーっと口開けてんの」
 「…開け、てません…っ!」
 「間抜け面」
 「ちょ、先輩…!」


馬鹿だな、とでも言うように、椎名先輩はふっと意地悪に微笑んだ。何だか雨までもが私を笑っているみたいだ。さっきよりも大きな粒が傘の布地を打ち鳴らす。しとしと。しとしと。雨の音。すぐ隣に傷一つないピカピカの雨傘と椎名先輩の手。緊張する。ドキドキする。私たちを追い越していく車の音が、なんだか、すごく遠い。椎名先輩というフィルターを通すとこんなにも世界は息を潜めるのか。


 「そこの田んぼにあるかかし」
 「…え、」
 「あのかかし、に似てるよね」
 「なっ、…!」
 「ホントそっくり」
 「似てませんって!」


椎名先輩は「そう?」なんてわざとらしく首を傾げて、また、意地悪気に笑った。
先輩はいつもこんな感じだ。意地悪を言って、それに反応する私を見て、わらう。
楽しそうに。おかしそうに。意地悪に。呆れたように。いろんなカオで先輩はわらう。


 「この傘っての?やけに新しいけど」
 「そりゃそうですよ。昨日買ったばっかりですもん」
 「傘を買うよりも参考書でも買ったら?この前の数学酷かったんだって?」
 「…な、んで知ってるんですか…?!」
 「マサキと五助が言ってた」


他愛無い会話をしながら傘越しに空を見る。さっきよりも雨粒が、おおきく、ゆるやかになったような気がする。――雨は好きだ。雨が降ると、朝、お父さんに学校まで車で送ってもらえる。園芸委員の仕事、花壇の水やりをしなくてもよくなる。窓から見る風景がいつもと違うみたいで、ちょっと新鮮な気持ちになる。雨が降ると、部活が休みになった運動部の友達が、椎名先輩が、どこか行こうぜ、って言ってくれる。雨が降ると先輩に会える。雨の日が好き。雨が好き。(…だけど今は6月。今の時期は、梅雨は、好きじゃない。だって、)


 「先輩はなんでそんな勉強も部活も出来るんですか…」
 「は要領が悪いんだよ。要領がさ。やる時にやるべき事をやっとけばどうにでもなるよ」
 「………」
 「ま、それも俺ら3年は夏までの話だけどね」


ああ、しまった。水玉模様じゃなくて、縞模様の傘にすればよかった。
縦、じゃなくて、横、の、縞模様の傘、に。布地を黒と紺と赤に染めて、真ん中に白を入れる。


 「…雨、止みませんね」
 「だね。そろそろあの雨雲も見飽きたな」


( そうしたら、あのかかしのように、だれも、近寄らないのに。 )


 「大会が近いってのにイヤんなるよ」


じゃのめがさにふたりきり。(梅雨が、この季節が終わったら、このひとは、)
このひとに誰も近寄らなければいいのに。この傘を差し掛けるのは私だけならいいのに。
あめふれ、あめふれ、もっと降れ。…蛇の目傘よ、私だけを迎えに来い。




蛇の目


( 黒と紺と赤と白と、貪欲なその瞳 )